Diary of SHIHO

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松本 喜陽  理事・大阪支部長

約3年前に私たちがNPOを設立したころ、福本さんを新聞記事で知りました。
それから1年後にやっとお会いすることができました。
当時の新聞を持っていくと、照れくさそうに笑っていたのいまでも覚えています。
何回かメールでやり取りしながら、私たちの活動を伝え、そしていっしょにやっていくことになりました。
最後にお会いしたのが大阪での美容学校です。
福本さんは、そこで講演をされていました。
その後に突然の訃報。本当に残念でした。
今後も彼女の想いを同じ美容師として、お客様に伝えたいと思います。

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越智一明  理事・神奈川支部長

志穂さんの働く姿を見て、美容という仕事、私自信にパワーをもらいました。 
志穂さんは治療を続けていながらも美容を続け、多分つらいと思うが、いつも笑顔で一生懸命、お客様との信頼関係もある、家族への思いも伝わって来る。 
私も同じ仕事をさせて頂くようになって、がんの治療をした母の気持ちを前より考えられるようになった。 
以前はあまり病気のことに触れないでいたし、手術後は家族が集まっても話題にならなかったが、最近は活動をきっかけに話せるようなり、あまり弱音を言わない母が、「つらい時もあるよ」と言ってくれた。私の仕事の一番の理解者になりました。 
これからもお客様や家族を思う美容師でいたい。

原美由紀 ジャーナリスト(元毎日新聞記者)

蒸し暑い時期だった。志穂さんと会う約束をしていたのだが、私はひどい胃潰瘍でキャンセルをした。
「また、きっと会える」。電話口から、志穂さんの明るい声を聞いた時、「油断」してしまった。次に連絡をとった時には遅かった。天国へ旅立った後だった。
「志穂さんの生き方を、何か形に残せないか」。
家族や美容室を訪れた人、支援したヘアエピテーゼの方らを取材させてもらった。
「志穂ちゃんのためならなんでも、協力します」。
自分もがんとの闘いで苦しいはずなのに、弾んだ声で話す女性がいた。
どこでかつらを用意したらいいかと悩んでいた時、病院で志穂さんお手製のチラシを見て、病院の玄関から電話をかけたという。
私は、会ったこともない人のことをあれこれ言ったり、まして書いたりするのが嫌いなのだけれど、どの人からも志穂さんの美容師にかける情熱が実感できた。
病気は辛い。まして、女性が脱毛してしまうなんて、受け入れがたいと思う。
そんなときに、親身になってくれる美容師がそばにいたら、そばにいてくれたらどうだろうか。

人が死んでしまうこと、それはとても悲しい。
でも、もっと悲しいのは、忘れられてしまうことだと思う。

残った私たちが、志穂さんの明るさ、ひたむきさ、純粋さを受け継いでいくことで、彼女は、「生き続ける」ことができると思う。
私は、何年たっても、志穂さんやご家族、周囲の方のことを忘れない。

最後に。
ねえ、志穂さん。
やっぱり、ちょっと早すぎたよ、天国行きは。
あなたのお母さんに、「志穂と会ったいたら、きっといい友達になれた」って言われた時は、言葉がありませんでした。
いつか会えるように、私も頑張ります。

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中村美佐  福本志穂さんのお母様より

前略 
立春も過ぎ冬も去ろうとしておりますが、はじめまして志穂の母親です。 
何かと悟にお心遣いのお手紙をいただきありがとうございます。 
失礼と思いますが悟も忙しくしておりますので、変わりにペンを走らせました。 
天国に召されて早いようで、遅いような一年でした。 
たくさんの人が志穂を偲んでお参りに来ていただきました。 
本当に感謝です。 
私たちも孫の笑顔に助けてもらい、やっと心のゆとりや前向いて人生を歩んでいこうと思うようになりました。 
志穂が残してくれました、思いを大切にしていただく事は、何よりも供養になります。 
ありがとうございます。 
同祖お体を大切になさって、ご活躍をお祈りしております。 
まずはお礼まで。 

中村美沙子 

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